自衛隊中央病院

青山繁晴さんの「僕らの国会第151回」を見ていたら、自衛隊中央病院という音声に耳をそばだてました。動画では渋谷区にあると言われてましたが、実際は世田谷区に存在します。動画の内容とは違うのですが、チョッと私の思い出話をしたくなりました。何故なら、とても懐かしくなりましたから。いくつかの小学校が、自衛隊中央病院付近にありますが、私が小学生の頃は、私が通っていた小学校のみだったと記憶しています。

(間違えました。1955年池〇小学校が公園のそばに新設されています)

学校が終わってから、幾人かの子供たちと一緒に自衛隊中央病院に隣接する世田谷公園(当時その名称であったかどうかよく覚えていません)に遊びに行った事があります。公園の中に車のタイヤが放置されていたり、病院の建物が見えていたりと、私には、あまり良い印象ではなかったです。そう、私には知らず知らずのうちに、自衛隊に対する負のイメージが作られていたのでしょう。学校で日教組の先生に反日教育されたという意識なんて全くなく、教科書なんかも、何かよく分からないままにそういうものかと覚えこんでいたのでしょう。何を覚えこんでいたのかもまったく記憶にございません。高校になって転校してきた級友が「私のお父さん、自衛隊なのよ」(本人は誇らしげに宣言していました)と聞かされた時の湧き上がる、私の何とも言えない「感情」、なにこれどうして?自衛隊に対する悪感情というか侮蔑的な思いがいつしか私に植え付けられていったのでしょうか?自分では全然気付かぬままに・・・・・・。

 

昨年コロナ騒動の先駆け?となった「ダイヤモンドプリンセス号」のコロナ感染者が、病院に入院されたというニュースが流れその後の音沙汰はないままでしたが・・・。最近、「ダイヤモンドプリンセス号」に乗船されていた感染患者さんは、自衛隊中央病院で治療を受けていたという動画を偶然見つけて、ハッとして見入ってしまいました。

その自衛隊中央病院たるや、私が昔(50年以上前)勧められてノコノコ診察を受けに行った、歩く度にギシギシ鳴るんじゃないかと気遣うほどの、おんぼろの木造づくりの病院ではなく、最新式の美しい鉄筋コンクリート造りのそれは其れは、見事な病院に変身していました! ひゃー、驚きましたねー、最も驚く私が可笑しいんですが・・・。その当時(私が20歳くらいかな?)になれば自衛隊中央病院がいかに評判の良い、優れた病院であるのかは、その筋の関係者から私ごときの耳にも入ってきていました。自衛隊中央病院から連想した私の思い出、公園の道を一つ隔てて存在していた団地群(今現在取り潰しされているかもしれませんが、その団地が出来るまでは、下馬連隊の兵舎の群れ群れ。そこに数多くの人々(満州からの引き上げの人々と、後に知りましたが・・)生活していたのです。

私の小学校時代には、そこの下馬連隊(私たちはただ連隊と言っていたように思います。)から通う学童が大勢いました。そのことについてもいずれ書き留めておきたいと思っています。ささやかな歴史ですが、確実に人々がそこに生きていた歴史ですから。