七五三

七五三と言えば私にとっては、11月15日のイメージです。

私は昭和26年11月15日にお祝いしていると思います。何故なら翌年27年に小学校に入学するのを見越して赤いブロード地に水玉模様のついた可愛いワンピースに赤い革靴を履いて、近くの〇繋神社にお参りして、いつもは誰も入れない、賽銭箱の奥にある部屋に七五三をお祝いする子供たちと一緒に通されて互いに、向かい側に座らされて、みんな杯でお酒を頂いた記憶があります。と書きましたが私はそのお酒を飲んではいませんでした。日本酒のあの匂いが私には耐えられなかったからです。何回か差し出されましたがその都度私は受けられませんでした。そんな小さなエピソードから今の私があるのかもしれないのかな・・・。昭和26年、今のような華やかさは全然なかったですね。

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  「〇繫神社は、ご祭神 大国主命 をおまつりし、前九年の役源義家公、頼義公が戦勝祈願をし、奥州藤原氏の征伐に際しては、源頼朝公が戦勝祈願をしたと伝えられる源氏ゆかりの神社です。」(フォトと説明文は〇繋神社HPよりの引用)

(因みにここ盛岡にも前九年の役通りとか、後三年の役通りとかの名称が残っています。すごいなと思いチョッと調べたら、昭和の初期頃(?)に住民の要望で採用されたようです。それにしても凄い!実際に、幹道を外れて昔ながらの道路を走ると、まるで「したに~したに~と言って大名行列する参勤交代の絵巻ものが目に浮かぶような気配がするのです。それだけ地域には、長い歴史を生きてきた重みが感じられます。そこに流れる空気が違うのです。ダッテ、栃木県那須郡那須町の田舎を車でいくら走っても、そんな歴史なんか全然感じられず、只々、北関東の底抜けに明るいド田舎があるって感じで、それは其れで私には大好きな風景なのですが・・・・。

  それから月日が流れて、当時財務大臣だった、中川昭一氏が折にふれてこの神社に来られて、ひと時を過ごしていらしたと、氏の逝去後何かの記事で目にして、まあ~という思いでした。こんな近くに住んでいらしたの~、其れで一挙に彼が身近になりました。当時私はネットでググるなんてことは知る由もないので、ただ新聞・TVを鵜呑みにしていて本当にバカでした。申し訳ありませんでした。彼は、実に惜しい人でした。