ヒサモト

三軒茶屋の「ヒサモト」というケーキ屋さんについても言っておきたいです。

ヒサモトという名を耳にしたのは、私が小学校の4~5年くらいの時だったかな~、今から60年以上も前の事です。そのころお勤めしていた一番上の姉が、三軒茶屋に美味しいケーキ屋さんがあり、チョッとお洒落なお店よ!と、自慢げに言っているのを耳にしてあこが”れていました。母が買い物でよく三軒茶屋に行っていたので時々くっ付い行くと、今で言う”茶沢通り”西友ストア側、昔の”緑屋”側、1970年代の”名鉄ハニー”の向かい側にその”ヒサモト”はありました。ウインドウ超しに見えるケーキを食べているお客さんの楽し気な雰囲気、高いヒールを履いた若い女性のスラっとした足・・・其処は、夕食の買い物に駆けずり廻っている、私の母を始め当時の買い物をする主婦たちとは別の世界の風景でした。ああ~お姉ちゃんはこうしてケーキというものを食べていたのか?と想像して自分も食べた気になっていました。その気にさせていました。でもお姉ちゃんは、私たちにケーキを買ってきてはくれなかった。(昭和30年代前後,1955年前後の出来事でした)大戦後10年経っているかどうかの時代でした。

お間違いにならないでね? 後年、学生の連中と何度か入って食べたことがあって、随分大き目のケーキだなというのが印象的でした。当時、味がどうか?なんて全然関心がなかったです。私がお勤め始めた給料日に、そのヒサモトの、耳にタコができるくらい聞いていた、見事な”アップルパイ”を買い求めた時、昔を思い出して思わず涙が溢れるおもいでしたね。私が十歳前後に目にしたのは、おとぎの国のようなヒサモトのファンターの世界でした。

以下は、PC でヒサモトをググって得た資料です。私にとっては貴重な資料ですのでそのまま貼り付けておきます。後で又調べなおすのも手間ですので、ご了承くださいませね。

ご周知の通り、彼はヒサモト洋菓子店の三軒茶屋の店を継いだ3代目でした。
彼の人生は、ヒサモト洋菓子店のパティシエとして生きた生涯ともいえます。

ヒサモト洋菓子店のルーツは、我々の祖父にあたります久本晋平が、長崎からカステラの技術をもって広島、大阪へと上り、そして当時、希少価値の高かった洋菓子のさきがけとして東京の渋谷に店を出したことに始まります。 祖父の自伝に昭和15年とありますから、今から60年近く前のことです。

そのころ東急グループの総帥であった五島昇は、東急田園都市計画というものを着手しておりました。 渋谷、三軒茶屋、自由が丘、といった地域に商業都市と住宅都市を作り、それを電車・バスなどの交通網で結ぶという壮大な計画でした。 祖父・晋平はこの東急田園都市計画に賛同して、東急沿線に店を拡げ成功しました。 日本洋菓子協会の初代会長として、日本を代表してアメリカと折衝し、小麦粉の輸入に尽力した話しなども聞いております。

恭永の父・泰弘おじさんの時代には、店舗を三軒茶屋店に集約しなければならない厳しい時がありました。 そして、彼がドイツでの修行から帰国して、実質的に店を引き継ぎました。 彼自身が言っていました。 ドイツでの勉強も貴重といえるけど、やはり日本でお客様と向き合って、実践で身につけたものが大きいと。 季節の果物を地方から仕入れて使ってみたり、コーヒーの豆を変えてみたり、店を禁煙にしてみたり、テレビに出たり、試行錯誤、悩みながら、愛される店を作り上げるに至りました。

 

東京、世田谷の三軒茶屋にヒサモトというおいしいケーキ屋さんがありました。
西友の並びです。

卵、牛乳・・・すべての素材にこだわっているのでしょう。
奇をてらわないシンプルなケーキでしたが、
どれもどれもおいしい、私の大好きなケーキ屋でした。

ヒサモトというのはおそらくご主人の苗字。
そのご主人がケーキをつくり、奥様を中心とする女性スタッフが販売されていました。
その奥様もとても素敵なマダムだったのです。
雰囲気は映画『魔女の宅急便』でキキに温かく接するに老婦人(加藤治子)。

ケーキを買う時って、
何かうれしいことがあった時、
もしくは、ちょっとへこむことがあって元気づけに、
という場合が多くありませんか。

私が何も言わなくても、
マダムは私の雰囲気でいろんなことを察していらっしゃったのでしょうか。
いいことがあった時はまるで「よかったわね」って一緒に喜んでくださるような、
そしてへこんで買いにきた時は、元気でますようにと温かく包んでくださるような雰囲気がありました。

もちろん、私が「今日は自分へのごほうびで」なんて言葉にすると、
「がんばられたのね。おめでとう」というように一緒によろこんでくださいました。

そんなところも、魔女の宅急便の老婦人に似ているな、
私も60代になったらこんなマダムになりたい!
と理想にしている女性でした。

ヒサモトのケーキで一番好きなのは生のフルーツのタルト。
特に、いちじくのタルト。ラズベリーのタルト。ブルーベリーのタルト。
バターのこくがあるタルト生地が香ばしくてとにかくおいしいです。
フォークを入れるとさく、ほろっと割れる少し厚めのタルト生地。
その上にのっているのがカスタードクリーム。
カスタードクリームも、素材の卵と牛乳が絶対違うというのがわかります。
なめらかでほどよいゆるやかさ。そしてとにかくおいしい。
そして、その上にフルーツ。
ラズベリーやブルーベリーのタルトって、
生のベリーが盛られているタルトもあれば、
煮詰めたものを乗せているものや、
生を盛っているけれどその上を煮詰めたジャムで覆ってしまうという手法もありますよね。
私は生オンリー派、余計な甘さは好きではないのです。

ヒサモトのタルトは、生オンリー派。
生のラズベリーやブルーベリーがカスタードクリームの上にぎっしり盛られ、
その上は薄く透明なゼリーのようなもの(これも極力甘味はないです)が覆うだけ。

タルト生地+カスタードクリーム+フルーツ。
この3つの味のシンプルさ。
ごまかしのきかない素材のおいしさが引き出されて逸品でした。
そして夏場のイチジクのタルトも、タルト生地+カスタードクリーム+いちじくが絶妙。

生フルーツ系ではないマロンタルトもおいしくて人気でした。
こちらはカスタードクリームはなく、完全な焼き菓子系タルト。
ごろんごろんとしたマロンの甘さとタルト生地の香ばしさが絶妙。
・・・・・・・・・・
デパートなどへの出店はありません。
地元の人みんなに愛され、遠くからも評判をきいて訪ねてくる人が絶えないヒサモトでしたが、
ある時ご主人が病気で亡くなられ、息子さんが跡を継がれました。
そして、マダムに面立ちがとてもよく似ていらっしゃる息子さんが、
先代と変わらないおいしいケーキを提供しつづけて、
未亡人となられたマダムもご主人を亡くされた哀しみを秘めて、
変わらず穏やかな温かさでお店に立ち続けていらっしゃいました。

けれど、ある時、ヒサモトは閉店しました。
三軒茶屋の商店街の女性(私が姉のように慕っている)から、
パティシエとして後を継いだ息子さんも30代の若さで病に倒れ、
闘病生活となってしまい、店を引き払ったらしいということを教えていただきました。

残念でなりません。
あんな素敵な家族がなぜそんなつらい思いを・・・と。

息子さんがその後どうなられたのか、
マダムは今どうしていらっしゃるのか私には消息がわかりません。
メインブログの「今日も星日和」で以前、
カリスマコンビニ店員のことを書きました。
何も会話をしなくても温かさは伝わることを教えられたのですが、
ヒサモトの女主人も接客で温かさが大切であることを身を持って教えてくださった方でした。

ヒサモトのあのタルトが恋しいです。
もし、ヒサモトで修業をしていた等、
ヒサモト系のタルトを創っているケーキ屋さんをご存知の方がいらっしゃったら、
ぜひぜひ教えてください!

 

検索してみたら、
三軒茶屋店の店長さんの従兄弟に当たる方が書かれたブログがあり、
『ヒサモト』のことが書かれていました。

創業は昭和15年で、初代はなんと日本洋菓子協会の初代会長を勤められていたそうで、
東急グループによる東急田園都市計画に賛同して、東急沿線に店舗を広げ成功されたのだそうです。
このマッチはその頃のものなのでしょう。
きっと当時の年代の方には懐かしい、思い出のケーキ屋さんなのでしょうね。

その後店舗は三軒茶屋店のみになり、三代目はなんと三十代の若さで亡くなり、
そのために『ヒサモト』は閉店してしまったようです。

検索していたら、「美味しいケーキ屋さんだったのに残念」という書き込みが散見され、
地元に愛されたいいケーキ屋さんだったんだなーと、しみじみ感じました。

 

 

ヒサモトは東京の三軒茶屋にある昔からある洋菓子屋さんです。創業は昭和12年と いうからかなりの老舗ですね。 ここのアメリカンチェリーのタルトですが、実は食べたのは5年前のことです。ですから詳しい説明はできないのですが、昔書き留めていたメモを参考に紹介します・・・・。

このお菓子はタルト生地にクレームダマンド(アーモンドクリーム)を敷き込み、そ の上にカスタードクリームを絞っています。一番上にはアメリカンチェリーをぎっし り並べて、ジャムを塗ってつやを出しています。 タルトとダマンドはこくがあって甘いのですが、チェリーがたくさんのっていてそれ が甘酸っぱくてあっさりしているため、しつこくないです。

このお菓子はアメリカンチェリーが主役で、それをケーキにしていかにおいしく食べ てもらうかを考えて作られたものだと思います。お店は三軒茶屋の商店街のなかにあり、町の人たちに愛されているケーキ屋さんと いった感じです。お店の中にはサロンもありテーブルが10個くらいありました。お客さんも結構多くてにぎわっていました。

アメリカンチェリーの季節は終わったので販売していないと思います。今の季節 は巨峰のタルトをやっていると思います。こちらもかなり巨峰をたっぷりのせていま す。値段は500円と少し高いですが、ケーキで季節の果物を贅沢に味わうのもよいと思います。

 

その後、ペペロッソの社長が、「本格的に菓子をやりたいなら、友人のやってる菓子店を紹介してやる」と言って下さって、移ったのが「ヒサモト洋菓子店」で、日本洋菓子協会の初代会長の久本氏が昭和15年に開いたという老舗。お孫さんである三代目が経営者だった。残念ながらご病気のため2005年に逝去され、お店も閉店となってしまった。
 
しかし、今でもヒサモトのケーキや焼き菓子のファンは多く、ヒサモトと同じスタイルの丸いショートケーキを、検索で発見して東京から食べにいらしたお客様もいたほどだ。

日本の高度成長期、東急グループの総帥であった五島昇氏は、東急田園都市計画を策定し、渋谷、三軒茶屋、自由が丘、といった地域に商業施設をセットした住宅都市を作り、それを電車・バスなどの交通網で結んだ。ヒサモトの創業者、久本晋平氏はこの東急田園都市計画に賛同して、東急沿線に店舗を拡大していった。豊かになっていく日本の家庭で、休日の団欒を暖かい色彩で彩る洋菓子を提供してヒサモト洋菓子店は大きくなっていった。
ヒサモトのレシピは、奇をてらったところはないが、口に入れれば優しくて暖かい味がする。それこそがヒサモトが時間をかけて磨いてきた家族の団欒を彩る力であったのだ。

この「歴史」こそが我々が継承すべき「情熱」であり起点とすべきものだ、と思い定め具体的な商品の設計を行う。そのひとつの到達点が「卵」であった。
素材を吟味していくうちに、ケージに閉じ込められ工場で大量生産されるように作られた卵と、人の手をかけ自然に近い状態で、自然な餌を食べて育った鶏が産んだ卵ではこんなにも味が違うのかと驚いた。近郊で「平飼い」で鶏を育てている農家さんの卵をいくつか試して、ケーキやプリンとの相性がいい余市の「滝下農園」さんにお世話になることに決めた。


当時、我々も子育ての真っ最中だった。だからあたたかい家族のふれあいを彩るためのケーキの味を、命の源である卵が作るというのは至極当然のことに思えた。
だからこの店のシンボルマークを、卵を産んでくれる「鶏」にしたのだ。

デザインはリクルート時代にお仕事のことやら遊びのことなんかも教えていただいた大先輩の大嶽一省氏にお願いした。現在はご自身の事務所をお作りになって制作物の範疇にとらわれない広い意味で様々な「コミュニケーションのデザイン」をしておられる。当店のデザインでも、ロゴマークをデザインするにとどまらず、「卵の味」を最もストレートに伝えるシュークリームに「ママのシュークリーム」と名付けるといった、コミュニケーションのフレームワークに踏み込むデザインを施していただいた。

ある日、女性のお客様が帰り際に、「このお店のショートケーキを食べたとき、何年も前に亡くなった父が、子供のころによく買って帰って来てくれたケーキの味を思い出しました。なんだか、あったかい味のするショートケーキですね。」とおっしゃってくださった。「ありがとうございます。」と答えながら、「あったかい味」という表現が、この方がお父様に寄せていらしたのであろう愛情を感じさせて、不覚にも涙がこぼれた。

そして、我々が受け継いだ歴史が、心をこめて作っていただいている食材が、そしてそれらを巧みに組み合わせてデザインされたコミュニケーションのフレームワークが「届いた」と思った。
こんなうれしいことはない。
仕事を通じて得られるヨロコビというのは、どんな仕事でも一緒なんだね。
 
 



ヒサモト 久本恭永さん  

 

 

1942年に祖父が渋谷で洋菓子店をはじめてから、自分で3代目になります。一時は都内に数店舗ありましたが、1986年からはここだけ。1店になったのを機に、大幅リニューアルしたんです。
自分は、学校を出てすぐ、当時の西ドイツのお菓子屋に、住みこみで丁稚奉公に行きました。普通の、街のお菓子屋です。今まで店のケーキしか知らなかったから、甘さと大きさにびっくりしましたね。でも、もっとショッキングだったのは、日本に戻ったとき。初めてお菓子を作ったのが西ドイツだったから、戻って厨房に立ったとき、素材や機材、技術の違いに驚いてしまったんです。向こうと同じお菓子や味を作ろうとした訳ではありませんが、使っていたチョコレートが入らないとか、型がないとか、それはかなりの驚きでしたね。

そんな中で、冷静に自分でできることを模索し始めました。自分は、有名店で修業をした訳でもなければ、コンクールで賞をとった訳でもない。だから技術だけで勝負できないと思ったんです。それならどうしたら特徴が出せるかと日々悩みました。そこで出た結論が"素材"。



それまで業者任せで「卵お願い」「イチゴお願い」と言えば持って来てくれたものを自分でやってみようと思ったんです。実行したのは築地での仕入れ。幸い、子供の頃から父親に築地に連れて行ってもらうことがあったので、築地という場所に抵抗はなかった。仲買いに信頼してもらい、いいものを売ってもらうまでには時間がかかりましたが、やっと今から5年ほど前に、確立してきたなという手応えを感じました。今は週に3回築地に通っています。

技術がない分、人よりちょっと早起きして、いい素材を入れている、というところでしょうか。業者のときと違って、自分の目で見て、気に入らなかったら買わないことができるのが何よりいいです。ツケで買うことは絶対しません。毎回現金です。だから店との変な義理も生まれない。今、主に2軒の店と付き合っていますが、「いいものが手に入らなければ明日からでも切り替えるよ」という、お互いが毎回真剣勝負なんです。

そして何より店のショーケースに季節感が出るようになりました。状態が悪かったときは仕入れないフルーツがあるから、例えばお客さんに「あれ?昨日あった柿のタルトないの?」といわれたら「今日はいい柿がはいらなかったから」と言います。これがお客さんの安心感にもつながっているみたいなんです。フルーツは食べごろがあるから、たくさんは仕入れられない。築地のフルーツを大胆に使うのはタルトですが、うたってはいないものの、おのずと限定販売になっていて、夕方はなくなっていることが多いです。



フルーツ以外で、素材を替えて味が劇的に変わったのは、カスタードクリーム。ジャージー乳と、茨城の地卵を使っていて、これは本当に美味しいです。タルトに敷いたりもしていますが、一番分かるのはシュークリームを食べたときですね。これは凄いですよ。

3代目として、昔ながらの味を捨てることに抵抗はなかったです。お客様の味覚はどんどん変わっているのだから、それにあわせていかなければならないから。でも、形を守っているものはあるんですよ。ショートケーキです。昔から使っている丸い型で作っているんです。ただ、ひとつのケーキとしてはちょっと大きいので、最近ホールを切った三角の普通のサイズも出しちゃったんですけれどもね。

ヒサモト