碑文谷公園

マッターホーンが出たなら、直ぐ近場の碑文谷公園に触れないわけにはいきません。

私が小学校に上がるか上がらないうちから、近所の子供たちとよく遊びに来たもので、小さな動物園?があって、当時は、おサルさんが大きな立方形の金網の中で中に設えられた木にぶら下がて赤いお尻を、堂々と私たちに見せつけて、得意顔でした。一方木の枝で無造作に作られた柵の中を、鹿が窮屈そうに走り回っているのを横目で見て、柵を飛び越えて自由になればよいのにと歯がゆい思いをしていました。公園の中には、かなり広い池があって、ボート乗りには打ってつけの場所です。後年、私も此処でボートが漕げるようになり、その楽しさを満喫しました。

 碑文谷公園と聞いて、今真っ先に思い浮かぶのは「青春の墓標」奥 浩平著です。半世紀以上前に渋谷のある書店で、ちょっと気になって手に取ってパラパラめくっていて碑文谷公園という語が目に留まり、思わず引き込まれるようにざっと読んでしまいました。内容そのものは、今記憶に全く残っていないので、以下Amazonのカスタマーレビューからの引用させていただきます。「著者奥浩平が自死して今年(2015年)で丁度50年。 単行本、文庫本共に絶版になって久しいが、今回改めて読み直し、昔この本を読んだ事のある人も(もちろん読んだ事の無い人も)是非再読してもらいたいと感じた。  一般に本書は『対立する組織の中での引き裂かれた恋』物語として読まれてきた。 今回再読して実は中原素子が奥浩平に伝えたかったことが216頁(文庫版では356頁)に記されている事を発見した。  結果的に中原素子の伝えたかったことに気付くのが遅すぎた奥浩平は【友人】とも【同志】とも別れを告げる道を選んでしまった。  当時は想像も出来なかった思想・の対立が先鋭化し沢山の命が奪われている現在こそ、 50年前、真剣に【友情】と【思想】に向かい合った若者たちがいた事を思い出すことも意味のある事だと思う。」

「学生時代に読んだ本です。もう一度確かめてみたいと思い購入しました。当時の学生運動の派閥のはざまで苦悩する男女の気持ちは痛いほどわかります。「「ジイジ」さんが指摘した箇所を読んだ。「ジイジ」さんは「今回再読して実は中原素子が奥浩平に伝えたかったことが216頁(文庫版では356頁)に記されている事を発見した」とあるが、このことを書いた後、奥は自殺未遂をしていたと思われる。痛ましい。生き急いだとは奥の生き方だ。生きていて欲しかった。生き抜いて欲しかった。「初めて手を握り合った六月のあの甘美な夕べを取り戻すことが出来たら、ぼくのもっていくサントリー・レッドを飲んで下さい」と兄宛の手紙が最期になった。感受性が高く、繊細であるだけ、生きにくかったのだろうか。」