チャスラフスカ選手―その2

ずいぶん先回から時が経ってしまいましたが、どうぞおゆるしください。

実は、続けて記事を書いて一安心した所で、どうゆう弾みか、記事が消えてしまって

がっくりしてしまいました。ま~、ド素人の悲哀ですが・・・。

やっと気を取り直して、書こうという気になりました。

東京オリンピックで金メダル三個を獲得して、チェコスロバキアの国民的英雄となった彼女でしたが、それから彼女に試練の連続が立ちはだかったのでした。1968年1月、長らくソ連を中心とした国際共産主義支配下にあった同国において、改革派のドプチェク氏が共産党のトップに就任し、同年6月知識人が結集して、大衆に民主化への決起を呼びかける「二千語宣言」が起草され、著名人70名が署名し、その中にチャスラフスカの名もあった。 これら一連の動きがいわゆる「プラハの春」と呼ばれるものでした。しかしながら、ソ連がこれを見過ごすはずがなく、同年8月20日ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が国境を越えて侵攻しチェコスロバキア全土を占領。民主化運動が弾圧される過程で「二千語宣言」に署名した人々への迫害が始まった。その結果殆どの人は署名を撤回したが、チャスラフスカは信念を貫き通し終生撤回することはなかった。2か月後に迫ったメキシコ・オリンピックにチェコスラバキアが出場するかどうか世界の注目を集めたが、彼女は、何が何でも出場する覚悟で、3週間たった一人で秘密に隠れ家で練習に励んだ。そして開会の直前ようやく出国が許され出場を果たした。

 

ドプチェク